お参りに行くといろんな質問をいただきます。たとえば、

 

 「死んだ者もいないのに仏壇を買ったりすると、新しく死者が出ると聞きましたが本当でしょうか?」

…いつも、私はこう答えます。…

 「確かに、お仏壇を買うと死者が出ます…しかし買わなくても出ますよ。この世に生まれたものは必ず死にます」って

 

 親類で仏事に詳しい者から「四十九日が三か月にわたるといけない」と言われました。本当でしょうか。

 「四十九日が三(み)月(つき)にわたるといけない」というのは単なる語呂合わせで…

「四(し)十(じゅう)九(く)日(にち)」を「始(し)終(じゅう)苦(く)日(にち)」に、

「三(み)月(つき)」を「身(み)付(つ)き」に置き換えて、

「始終苦日が身に付く」から「四十九日が三月にわたってはいけない」と言われるようになったのです。

このようなことを、ひっくるめて「忌(い)み事」と言いますが、だいたいこの「忌み事」というのは、死者を冒(ぼう)涜(とく)する事です。

 たとえば、お葬儀の時に、

 出棺の際、故人が生前に使っていたごはん茶碗を割るという習慣のある地域があります。

 これは、故人に対して「あなたが帰ってきても、もうご飯を食べるお茶碗はありませんからね。迷って出てこないでね」と伝えていることだそうです。

…失礼な!

また、棺の蓋(ふた)に石で釘を打つ「釘打ちの儀式」が行われている地域もあります。

 

これも、死者を不浄のものと見なして、出てこないように棺の蓋(ふた)に釘を打つ。

それも金槌ではなく石で…

何で石なのか?というと、

石には霊を封じ込める不思議な力があるという…これまた迷信から来ており、

死の穢れを石の力によって棺の中に封じ込めようとするものだそうです。

 また、お棺(かん)を霊柩車に乗せる時に、みんなでグルグルと三回ほどお棺を回してから乗せる地方もあります。

 これは、棺を回すことによって死者の方向感覚が無くなって、家に戻れないようにするためなんだそうです。

…本当失礼な話ですねぇ!

 

 また、火葬場への道を、行き道と帰り道を変えるということは、ここらでも、ちょくちょく聞きます。

 これは、「同じ道を帰ると亡くなった者がついてくる」と言って、家までの道を覚えさせないために行われているのです。

 また、火葬場で、お骨を拾う時、二人で一つのお骨を拾わねばならないというような「忌み事」もあります。

 これは、死の穢れを分散させるためだそうです。

 

 また、葬儀や火葬場から帰ると、家の中に入る前に「清め塩」を身体にかけるというのは、これは神道の穢(ケガレ)の思想から来ているもので、神道では、死者は穢れたものと見なして、葬儀や火葬場に行くと死の穢れがつくので塩を使って穢れを落としてから入るということだそうです。

 

 だから仏教徒は「清め塩」など使いませんし、その他、いろいろな「忌み事」も浄土真宗では一切行わないのです。

 

  亡くなった者には旅支度をさせて送らなければ迷うと聞きましたが 本当でしょうか。

 

旅支度とは俗に言う死者の旅装束と、亡くなった者の枕元や棺の中に納める様々な品のことだと思いますが、死者に旅支度をさせて送り出す風習は日本古来の土俗信仰から来ており、そのような信仰が仏教の儀式にも入り込み、仏教の葬儀や法事でありながら仏教以外の考え方で儀式が行われているのが現状のようです。

 

 ぜひ仏教本来の考え方をご理解いただければと思います。

 

ではまず、その日本古来の土俗信仰の中身は何かというと、「人が亡くなれば冥土という所へ旅をする。」そして「ちゃんとたどり着かなければまたこの世に悪霊として戻り、生きている者に禍(わざわい)をもたらす。」という考えです。

 

 何で死者に旅装束を着けさせるのかというと、「あなたはもう亡くなったのです。ちゃんと冥土へ行きなさい。この世界に帰ってきてはいけませんよ。」と伝えているのです。

 

 また、枕元の団子は旅の途中のお弁当なんだそうです。途中でお腹を空かせて、またこの世に戻って来ては困るといった考え方のようです。

 

 死者の枕元に一本の箸を立てた一膳飯をお供えするのは、死者の霊の宿り木だそうです。亡くなった人の魂が家の中を漂うのを防ぐため、食べ物を用意してそちらにじっとしているようにとのことです。…死者の霊をまるでハエのように考えているんですかねぇ。

 

 それから、旅支度とは少し違いますが、死者の胸元や棺の上に「守り刀」を置くといった風習もあります。これは亡くなった者は霊が抜けているので他の霊が乗り移りやすいと考え、悪霊などが死者に取り憑かないようにと刀で守るということのようです。

 以上、旅支度の代表的なものを取り上げましたが、これらの土俗信仰はすべて霊を怖れる「霊信仰」と言ってよいと思います。「慰霊」「鎮魂」の思想です。

 

 しかし、仏教はこれら霊信仰を否定するものなのです。

仏教の見解は、

まずは、「諸行無常」といって…

すべてのものは移り変わるんだ。ということです。

続いて、「諸法無我」という…

移り変わっていくのは、この私も例外ではなく、肉体は無くなっても霊魂となって私は続くというような、そんなことは説きません。続いていく我、変わらぬ我というようなものはありません。だから無我です。

そして、「涅槃寂静」…

涅槃ということを漢訳では、寂静とか寂滅と訳します。または、滅とか滅度などと訳します。

つまり、「いのち」終わるということは、滅することだといっているのです。

滅とは、無に戻る。ゼロになる…これを「空」といいます。ゼロの世界へ戻るのです…そして、そこを浄土といい極楽というのです。

仏教では、全ての存在は、縁(条件)によって成りたっていると見ます。…

これを縁起の法といいます。ご縁によって一瞬一瞬を生かしていただいているんです。ご縁が無くなれば、滅するのです。だから今この時の「いのち」がありがたいのです。それが我々の本当の姿ですよと仏教は説いています。


今後の行事

日/曜日 時間 内容 備考
2024年(令和6年)
毎月 第1(日) 午前6時半 おはよう講座 毎月 第1 日曜日
1月 第2 日曜日
中止第3(木) 午前10時~午後3時半 福遊会 毎月 第3 木曜日
10月 12日(土) 午前10時 秋の永代経 法話:戸松 憲仁 住職
午後1時 前住職ご命日 落語:三遊亭兼好
俗曲:桧山うめ吉
24日(木) 午前10時/午後7時半 親鸞教室  
11月 12日(火) 午後1時 開基・中興法要・相続講 法話:未定
12月 12日(木) 午後1時 成道会(お釈迦様の命日) 法話:織田 慶雄 師
10日(火) 午前10時/午後7時半 親鸞教室  
2025年(令和7年)
1月 12日(日) 午後1時 修正会 奉讃会 法話:堀田 護 師
20日(月) 午前10時/午後7時半 親鸞教室  
2月 11日(火) 午後2時 こどもほうおんこう「人形劇」 とんがらし
12日(水) 午後1時 報恩講 法話:安藤 伝融 師
13日(木) 午後1時 報恩講 法話:堀田 護 師
3月 12日(水) 午後1時 聖徳 太子会 奉讃会 法話:伊奈 祐諦 師
4月 12日(土) 午後1時 永代経・蓮如忌 法話:小谷香示 師
5月 12日(月) 午後1時 定例・奉賛会・宗祖誕生会 法話:戸田 恵信 師
6月 12日(木) 午後1時 前々住職御命日 法話:戸田 栄信 師
7月 11日(土) 午後1時 お盆会 法話:戸松 憲仁 住職
12日(日) 午後1時 お盆会 法話:藤井 義尚 師
8月 12日(火) 午後1時 盂蘭盆会 法話:青木 馨 師
13日(水) 午後7時 納骨堂 お盆会 寺内勤め
14日(木) 午後7時 納骨堂 お盆会 寺内勤め
9月 12日(金) 午後1時 彼岸会 法話:梛野 明仁 師