【空席のない 夕ご飯】
山本夏代さんがこの句を詠んだ当時は、愛知県安城市立西中の一年生です。
選者の先生が言われるように、
おじいちゃんか おばあちゃんの 初盆の日の 夕ごはんの風景でしょう。
お仏壇でお参りを済ませて食卓についた時、いつもは、今は亡き人の ぽつんと穴のように あいていた空席が、
今夜は空席であって空席ではないのです。
私はこの句を知った時、この句の掲載紙「ハイク・ブック」が日本航空広報部の編集であるのを思い合わせて、子どもらしい鋭い連想が「空席」にあるのを感じてほほえましく思いました。
お仏壇の仏具のお磨きをしたり、提灯を飾ったり、お墓参りに行ったりする素朴な仏教行事が、子どもの心には、
厳粛(げんしゅく)に受けとめられるのです。
宗教教育は決して難しいことではありません。古くからの行事を、大人が敬虔(けいけん)につとめるなら、子どもは厳(おごそ)かに感じとるのです。
誰かの句に「迎火や 母のよはひを とうに過ぎ」とありました。
私も両親の齢を遥かに超えて、このように生きさせて頂いています。
もったいない。 (松原泰道)
今年もお盆を迎えます。
歳をかされるごとにお別れをする人が
増えてきました。
でも、つい、まだどこかにいるのではないかと思ってしまうことがあります。
我にかえって「ああ、もういないのか・・・」と寂しさが蘇ります。
金子大栄先生は、こうおっしゃる。
「死んでいく人は、なにか滅びざるものを残していく。
親が死んでいくときには滅びないものを子供の胸へ残していく。
そういうところに亡き人を拝むというこころがある。
置いて行ったものは不滅なるものである」
亡き人は、私の胸に滅びないもの・不滅なるものを残していくという。
そう言われれば、亡き人は、姿形は無くなっても、いっぱい思い出を残してくれました。
私の人生を彩ってくれました。
愛情をたっぷりもらいました。
生きる情熱をもらいました。
一生懸命やった時のすがすがしさを教えてくれました。
いま、私は亡き人と共に この人生を生きているのですね。
月 | 日/曜日 | 時間 | 内容 | 備考 |
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2024年(令和6年) | ||||
毎月 | 第1(日) | 午前6時半 | おはよう講座 | 毎月 第1 日曜日 1月 第2 日曜日 |
中止第3(木) | 午前10時~午後3時半 | 福遊会 | 毎月 第3 木曜日 | |
10月 | 12日(土) | 午前10時 | 秋の永代経 | 法話:戸松 憲仁 住職 |
午後1時 | 前住職ご命日 | 落語:三遊亭兼好 俗曲:桧山うめ吉 |
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24日(木) | 午前10時/午後7時半 | 親鸞教室 | ||
11月 | 12日(火) | 午後1時 | 開基・中興法要・相続講 | 法話:未定 |
12月 | 12日(木) | 午後1時 | 成道会(お釈迦様の命日) | 法話:織田 慶雄 師 |
10日(火) | 午前10時/午後7時半 | 親鸞教室 | ||
2025年(令和7年) | ||||
1月 | 12日(日) | 午後1時 | 修正会 奉讃会 | 法話:堀田 護 師 |
20日(月) | 午前10時/午後7時半 | 親鸞教室 | ||
2月 | 11日(火) | 午後2時 | こどもほうおんこう「人形劇」 | とんがらし |
12日(水) | 午後1時 | 報恩講 | 法話:安藤 伝融 師 | |
13日(木) | 午後1時 | 報恩講 | 法話:堀田 護 師 | |
3月 | 12日(水) | 午後1時 | 聖徳 太子会 奉讃会 | 法話:伊奈 祐諦 師 |
4月 | 12日(土) | 午後1時 | 永代経・蓮如忌 | 法話:小谷香示 師 |
5月 | 12日(月) | 午後1時 | 定例・奉賛会・宗祖誕生会 | 法話:戸田 恵信 師 |
6月 | 12日(木) | 午後1時 | 前々住職御命日 | 法話:戸田 栄信 師 |
7月 | 11日(土) | 午後1時 | お盆会 | 法話:戸松 憲仁 住職 |
12日(日) | 午後1時 | お盆会 | 法話:藤井 義尚 師 | |
8月 | 12日(火) | 午後1時 | 盂蘭盆会 | 法話:青木 馨 師 |
13日(水) | 午後7時 | 納骨堂 お盆会 | 寺内勤め | |
14日(木) | 午後7時 | 納骨堂 お盆会 | 寺内勤め | |
9月 | 12日(金) | 午後1時 | 彼岸会 | 法話:梛野 明仁 師 |