『柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺』 

明治の俳人・正岡子規の代表作

(慶応3年1867年10月14日生)

 

正岡子規の生まれた慶応3年という年は、坂本龍馬や中岡慎太郎が暗殺された年なんですね。

因みに、10月14日というのは、

前住職の命日と同じ日なんですね。

 

この句でも、法隆寺の茶店で柿を食べていたら、鐘撞堂から「ゴーン」と鐘の音が聞こえてきましたよ。ふーん。

と読んでもいいんですが、

 

正岡子規は、21歳の頃から結核を患(わずら)い最後は、結核から、結核菌が脊髄を侵す「脊髄カリエス」という難病にかかって、わずか34歳で亡くなっております。

結核というのは、肺だけではなく、他の臓器や骨や関節にも発症するんですね。

 

だから、来年またこの柿が食べれる保証はどこにもない。法隆寺の鐘の音を聞きながら、最後の晩餐じゃないけれど、

この柿はこの世の見おさめ、食べおさめ

「祇園精舎の鐘の音 

諸行無常の響あり…」

あの「平家物語」のように世の無常を

感じておったんじゃないかしら。

 

この句が世に発表されたのは、

明治28年(1895年)『海南新聞』

11月8日号なんだそうですが、

実はこの句は、正岡子規のオリジナルではなくって、オマージュではないかと

言われております。

※因みにオマージュというのは、芸術や文学で、尊敬する作家や作品に影響を

受け、似たような作品を創作すること。

 

じゃあ誰の作品を真似たのかというと

「鐘つけば 銀杏散るなり 建長寺」

法隆寺でなくって、鎌倉の建長寺

柿じゃなくって、銀杏…

これは、正岡子規の親友で、

お札にもなったあの文豪・夏目漱石の

句なんだそうです。

 

明治27~28年、結核で日清戦争から

故郷・松山へ帰郷した、ちょうどその頃、松山中学の英語の教師として赴任していた夏目漱石。

正岡子規は、その夏目漱石の下宿に転がり込んでいた時期がありまして、

そこで、漱石の句を見て、

柿の名産地である奈良県を連想して

奈良を代表する名刹・

法隆寺を当てはめたのが

後の世に大ヒットはというか、

子規の代表作となったわけです。

 

そこで

私もオマージュ作品を一つ

「柿食えど 鐘のならない 福万寺」

よく考えたら、うちの寺には鐘(かね)撞(つき)堂(どう)がなかった。

「金もなく 銀杏もないの 福万寺」

最後にもう1つオマージュ写真を…


今後の行事

日/曜日 時間 内容 備考
2024年(令和6年)
毎月 第1(日) 午前6時半 おはよう講座 毎月 第1 日曜日
1月 第2 日曜日
中止第3(木) 午前10時~午後3時半 福遊会 毎月 第3 木曜日
9月 12日(木) 午後1時 彼岸会 法話:梛野 明仁 師
25日(水) 午前10時/午後7時半 親鸞教室  
10月 12日(土) 午前10時 秋の永代経 法話:戸松 憲仁 住職
午後1時 前住職ご命日 落語:三遊亭兼好
俗曲:桧山うめ吉
24日(木) 午前10時/午後7時半 親鸞教室  
11月 12日(火) 午後1時 開基・中興法要・相続講 法話:未定
12月 12日(木) 午後1時 成道会(お釈迦様の命日) 法話:織田 慶雄 師
10日(火) 午前10時/午後7時半 親鸞教室  
2025年(令和7年)
1月 12日(日) 午後1時 修正会 奉讃会 法話:堀田 護 師
2月 11日(火) 午後2時 こどもほうおんこう「人形劇」 とんがらし
12日(水) 午後1時 報恩講 法話:安藤 伝融 師
13日(木) 午後1時 報恩講 法話:堀田 護 師
3月 12日(水) 午後1時 聖徳 太子会 奉讃会 法話:伊奈 祐諦 師
4月 12日(土) 午後1時 永代経・蓮如忌 法話:小谷香示 師
5月 12日(月) 午後1時 定例・奉賛会・宗祖誕生会 法話:戸田 恵信 師
6月 12日(木) 午後1時 前々住職御命日 法話:戸田 栄信 師
7月 11日(土) 午後1時 お盆会 法話:戸松 憲仁 住職
12日(日) 午後1時 お盆会 法話:藤井 義尚 師
8月 12日(火) 午後1時 盂蘭盆会 法話:青木 馨 師
13日(水) 午後7時 納骨堂 お盆会 寺内勤め
14日(木) 午後7時 納骨堂 お盆会 寺内勤め