「さんずい」に「争う」と書くんだろう?

東京都・西蓮寺住職 白山謙弌

 

「浄土」「浄財」「清浄」「浄化」など、「浄」という漢字は、澄み切った様子、穢れのない様子を表わしています。

けれど「浄」は、「さんずい」「争う」という字でできています。文字と意味とが噛み合っていないようにも感じます。

 

最近思うことは、ロシアのウクライナへの侵攻の報道を見ながら、平和を希求する側面と、争いで物事を解決しようとする側面と、人間の持つ二面性に複雑な感情が湧いています。

 

たとえば、停戦を呼び掛けながらも、ウクライナへの武器・兵器の供給も行なわれています。ウクライナの人々を守るためという大義名分もあるけれど、戦争は、やはり経済なんだとあらためて感じます。今頃、儲かって、ウハウハ気分の人もいるのでしょう。

戦争と平和というのは、反対の概念ではなく、一つの循環の中にあるのかも。

だから、ひとたび戦争が起これば、私も、それまで言っていたことを、いとも簡単に翻すでしょう。

戦争は、私を別人にしてしまう。

いや、別人になるのではありません。元々いた私が、今までとは違う形で表れるだけであって、私であることに変わりはありません。

現在、世界で起きている出来事を見ていると裏表の顔を持つ私の姿が浮かび上がってきます。

ひょっとしたら「浄」の中の「争」は、私の姿なのではないでしょうか?

「普段は、虫も殺さぬ顔をしていても、ひとたび戦争になれば、人殺しだろうと盗みだろうと、平気で行なう自分が見えますか?自分のもうひとつの顔を見失うなよ!」と、仏さまから呼びかけられているのだと思います。

(まが)いの美しさ   吉野弘

流れる水は

いつでも自分と争っている。

それが浄化のダイナミクス。

(たま)り水の透明は

沈殿物(ちんでんぶつ)上澄(うわず)み、(まが)いの清浄。

河をせきとめたダム

その水は澄んで死ぬ。

ダムの安逸(あんいつ)から放たれてくる水は

土地を()やす力がないと農にたずさわる人々が嘆くそうな

一見きれいに見えるものも、その美しさは紛(まが)いもの。澄んで透明に見える溜水も、その奥底には沈殿物がある。

せきとめられた空間に貯められた水は、澄んではいても死んでいる状態。 「浄」とは、決して浄く穢れのない姿を言うのではなく、清濁合わせ持つ姿を知らせる働きをいうのでしょう。


今後の行事

日/曜日 時間 内容 備考
2025年(令和7年)
毎月 第1(日) 午前6時半 おはよう講座 毎月 第1 日曜日
1月 第2 日曜日
中止第3(木) 午前10時~午後3時半 福遊会 毎月 第3 木曜日
9月 12日(金) 午後1時 彼岸会 法話:梛野 明仁 師
18日(木) 午前10時/午後7時半 親鸞教室  
10月 12日(日) 午前10時 秋の永代経 法話:戸松 憲仁 住職
午後1時 前住職ご命日 落語:三遊亭兼好
俗曲:桧山うめ吉
23日(木) 午前10時/午後7時半 親鸞教室  
11月 12日(水) 午後1時 開基・中興法要・相続講 法話:未定
12月 11日(木) 午前10時/午後7時半 親鸞教室  
12日(金) 午後1時 成道会(お釈迦様の命日) 法話:織田 慶雄 師
2026年(令和8年)
1月 12日(月) 午後1時 修正会 奉讃会 法話:堀田 護 師
2月 11日(水) 午後2時 こどもほうおんこう「人形劇」 とんがらし
12日(木) 午後1時 報恩講 法話:安藤 伝融 師
13日(金) 午後1時 報恩講 法話:堀田 護 師
3月 12日(木) 午後1時 聖徳 太子会 奉讃会 法話:伊奈 祐諦 師
4月 12日(日) 午後1時 永代経・蓮如忌 法話:小谷香示 師
5月 12日(火) 午後1時 定例・奉賛会・宗祖誕生会 法話:戸田 恵信 師
6月 12日(金) 午後1時 前々住職御命日 法話:戸田 栄信 師
7月 11日(土) 午後1時 お盆会 法話:戸松 憲仁 住職
12日(日) 午後1時 お盆会 法話:藤井 義尚 師
8月 12日(火) 午後1時 盂蘭盆会 法話:青木 馨 師
13日(水) 午後7時 納骨堂 お盆会 寺内勤め
14日(木) 午後7時 納骨堂 お盆会 寺内勤め