古代インド人が、数学における0(ゼロ)を発見しました。…この発見は、仏教の思想と深く関係していると思われます。
普段は「ゼロ」はひとつの数字にすぎませんが、この0には、どうやら特別な意味があるようです。

 

1,2,3・・・10と進む十進法では、その最後に0が来て次の桁に繰り上がる。

…この考え方は一体何なのでしょうか。

この、桁の繰り上がりがなかったら、私たちは、十進法どころか、百進法、千進法と、

どこまでも膨大な数の数文字を考えなければならなかったのです。

それを、とりあえず、両手の指の数で終わらせ、「一桁上がる」という発明は、何と画期的なことでしょう。

もしも人類が4本指だったら8進法が採用され7の後が0だったのかもしれません。

ともあれ、その一桁上がるというのが、

いわゆる0の役割です。
 

この0という考え方は、仏教思想の「無」とか「空」ということと関連していると思います。

世紀を数えるにしても、月を数えるにしても、また数え年で年齢を言うにしても、

0から出発せず、1 からでした。

 

すでにある(存在している)ものに0は

なじまなかったのです。

 

「無」という概念は、ただ指折り数える

生活の知恵とは異なった発想が必要だったでしょう。
 

仏教思想では、あらゆる存在は実体がなく、仮の姿で、関係によって存在する。

それを「縁起」と呼びます。

ただ移りゆく関係(無常)があるだけという考え方(無我)がその根底思想です。


 また西洋の哲学のひとつに弁証法という思想があります。

たとえば、さまざまな壁にぶつかって、にっちもさっちも行かない状況に陥った時、

すべてをいったん「ご破算」にして、文字通りいったん「ゼロ」に立ち返り、そこから考え直すことです。

これを「止揚」といいます。数字の「桁上がり」とそっくりです。

 

思えば、日本人のお正月もこのような発想から来ているのかもしれません。

つらいことも悲しいことも大晦日までで、

除夜の鐘を聞いて、一夜明ければ、

すべてをいったん「ご破算」にして、

「あけまして おめでとうございます」

…と

0からの出発にして切り替えていく。

とてもおもしろい発想ではないでし

ょうか。

 

私は、この年になってもまだ、

大晦日からお正月と、新しい年に

なっていく、あの感覚が大好きです。

また、来年も初心(ゼロ)に戻って、

一からやりなおしましょう。


今後の行事

日/曜日 時間 内容 備考
2024年(令和6年)
毎月 第1(日) 午前6時半 おはよう講座 毎月 第1 日曜日
1月 第2 日曜日
中止第3(木) 午前10時~午後3時半 福遊会 毎月 第3 木曜日
4月 12日(金) 午後1時 永代経・蓮如忌 法話:小谷香示 師
30日(火) 午前10時/午後7時半 親鸞教室  
5月 12日(日) 午後1時 定例・奉賛会・宗祖誕生会 法話:戸田 恵信 師
27日(月) 午前10時/午後7時半 親鸞教室  
6月 12日(水) 午後1時 前々住職御命日 法話:戸田 栄信 師
21日(金) 午前10時/午後7時半 親鸞教室  
7月 11日(木) 午後1時 お盆会 法話:戸松 憲仁 住職
12日(金) 午後1時 お盆会 法話:藤井 義尚 師
29日(月) 午前10時/午後7時半 親鸞教室  
8月 12日(月) 午後1時 盂蘭盆会 法話:青木 馨 師
13日(火) 午後7時 納骨堂 お盆会 寺内勤め
14日(水) 午後7時 納骨堂 お盆会 寺内勤め
9月 12日(木) 午後1時 彼岸会 法話:梛野 明仁 師
10月 12日(土) 午前10時 秋の永代経 法話:戸松 憲仁 住職
午後1時 前住職ご命日 落語:三遊亭兼好
俗曲:桧山うめ吉
11月 12日(火) 午後1時 開基・中興法要・相続講 法話:未定
12月 12日(木) 午後1時 成道会(お釈迦様の命日) 法話:織田 慶雄 師
2025年(令和7年)
1月 12日(日) 午後1時 修正会 奉讃会 法話:堀田 護 師
2月 11日(火) 午後2時 こどもほうおんこう「人形劇」 とんがらし
12日(水) 午後1時 報恩講 法話:安藤 伝融 師
13日(木) 午後1時 報恩講 法話:堀田 護 師
3月 12日(水) 午後1時 聖徳 太子会 奉讃会 法話:伊奈 祐諦 師