このごろ大きな社会問題になっているのが「いじめ」と「自殺」です。

子どもの世界だけでなく、大人の世界でも同じことが言えるようです。

 

 子どもは大人の「まね」をして成長していきます。…ということは、子どもの「いじめ」や「自殺」は、大人である私たちの「まね」をしていると考えなければなりません。

 

私たち大人の頭の中は、自分の生活のことでいっぱいです。年がら年中、「金金…」と金儲けのことばかり、経済中心の生活。

こういう儲かることなら手段をえらばず!というような大人の真似をして、

オレオレ詐欺などということも出てきたのだと思います。

ちゃんと子どもたちは知っています。

大人の内緒ごとも、にらみ合いも子どもはよーく見ています。

また逆に、子どもたちは、いいことも見ています。食前食後に手を合わせたり、お仏壇に合掌し、お念仏を称えている姿も見逃してはいません。

このごろ核家族の増加と共に、お仏壇を安置する家庭が少なくなりました。

だから手を合わすことも、お念仏を称えることも知らない子どもが増えました。 

 

家庭の中で感謝合掌することがない、そして大人も手を合わすことがありませんから、その「まね」することもない。食事の際も「いただきます」も「ごちそうさま」もない。なにか殺伐としているこの頃ではありませんか。

そんな家庭で育つならば、やはり

「いじめ」とか「争い」しかありません。

 

お盆は、こんな家庭にも一筋の望みを与えてくれるのではないでしょうか。

遠く故郷を離れている人も、お盆には里帰りをします。それぞれの予定・計画はありましょうが、一年に一ぺんのお盆ですから、とりあえず先祖の墓参りに行きましょう。

お花を供え、ろうそく・線香を灯し、

手を合わせることすら知らない子どもたちもおじいちゃんやおばあちゃんにならって、静かに合掌礼拝し、祖父母や両親から先祖のことを聞かされ、今は亡き方々と無言の語らいをし、未来に思いを馳せるひと時は、とても意義深いことだと思います。

 先日、あるお宅の納骨法要(お墓にお骨を治める)があって、やすらぎ公園に行きました。

家族みんなで、お骨を納めた後、

突然、高校生の孫娘さんが、

「お寺さんこれもお墓に入れていい?」

というので、

私は何かしらんと見ると、

なんと携帯電話???

「どういうこと?」

わけを聞いてみるとこの孫娘は、大変なおばあちゃん子で、おばあちゃんのことが大好きで、大好きで、ところがその大好きなおばあちゃんが最近、年のせいか少しボケてきちゃった。

そこで、孫娘は、なんとか、元気になってもらいたい、昔のようにしっかりしたお婆ちゃんに戻ってもらいたいということで、いろいろ考えたあげく、お母さんにお願いして、お婆ちゃん専用の携帯電話を買ってもらったんだそうです。新しいことを始めれば頭の体操にもなるし、それに、いつでも連絡が取れて家族のものも安心ということで。

(それも、いきなりスマートホン)

時間をかけて、何度も何度も使い方を教えて、やっと電話をかけたり受けたりできるようになったら、

「さぁお婆ちゃん、次はラインよ!」

(「ライン」というのは、文字を送ったり、写真を送ったり、イラストを送ったりできる携帯電話を使ったお手紙みたいなものです。メールというものもありますが、それよりちょっと若向きかな)

これまた娘さん、根気よく何度も何度も使い方を教えて、その甲斐あって、お婆ちゃんも何とか自分で写真を撮って、それを送ったり、孫娘からの写真やメッセージを受けとったりもできるようになったんだそうです。

(このお婆ちゃん八十歳

すぎてるのにすごいですね)

孫娘曰く

「おばあちゃん、せっかく、使いこなせるようになったのに亡くなっちゃった。

だから、これお墓の中に入れてもいいですか?おばあちゃんもきっと喜ぶと思うんです」

私がニコニコ聞いていると…

孫娘さん「でもお墓の中ってやっぱり、

圏外かしらぁ?」

これには、そばにいた家族も大笑い。

そしたら、お母さんが

「逆に繋がったら、怖いでしょ!

「ハイハイ、おばあーちゃんだよー

今、三途の川を渡ったとこー

閻魔さんと写メ撮ったから送るねー」

なんて閻魔さんと二人でピースしてる写真でも届いたら怖いでしょ!」

孫娘「ううん、ぜんぜん怖くない。

だっておばあちゃんなんでしょ!

死んだって、おばあちゃんなら全然怖くない。っていうか、もういっぺん会いたい!幽霊になって来てくれてもいいから、もういっぺん会いたいよぉー」

そこで私(住職)がいいました。

「大丈夫だよ!ケイタイは電源が切れたらつながらないけどね、こうやって、お墓へ参ったり、お家でもお仏壇に手を合わせて、お念仏すれば、いつだってお婆ちゃんとお話しすることができるんだよ。もちろん心の中でね。

姿形はなくなっても、いつもそばで見守っていてくれるんだよ。じつは、お婆ちゃんの方も、君のことが心配で心配でしょうがないんだから。」

と言うと

「ふーん」とわかってくれたのか、どうかわかりませんが、一応うなずいてくれました。

私たちは、亡くなった人は、もうどこにもいない。姿かたちがなくなると、

もう何もないように思ってしまいますが、でも、そうではありません。

姿かたちは無くなっても、ちゃんとあるのです。目には見えなくてもあるものがあるのです。

亡き人は、南無阿弥陀仏と称えさせていただくお念仏の中に永遠に生きておられるのです。

私たちは、お念仏を称え、亡き人と出会っていくのです。

そう、もう一度出会い直していくのです。

 

亡き人と、もう一度出会えた時に、

私たちは、やっと本音で語ることができるのです。生きているうちには、どうしても言えなかったことや、面と向かっては、どうしても素直に言えなかったこと、

そんなことも素直に言うことができるのです。たとえば…「すみませんでした」とか「お世話になりました」

とか「ありがとう」とか…


今後の行事

日/曜日 時間 内容 備考
2024年(令和6年)
毎月 第1(日) 午前6時半 おはよう講座 毎月 第1 日曜日
1月 第2 日曜日
中止第3(木) 午前10時~午後3時半 福遊会 毎月 第3 木曜日
10月 12日(土) 午前10時 秋の永代経 法話:戸松 憲仁 住職
午後1時 前住職ご命日 落語:三遊亭兼好
俗曲:桧山うめ吉
24日(木) 午前10時/午後7時半 親鸞教室  
11月 12日(火) 午後1時 開基・中興法要・相続講 法話:未定
12月 12日(木) 午後1時 成道会(お釈迦様の命日) 法話:織田 慶雄 師
10日(火) 午前10時/午後7時半 親鸞教室  
2025年(令和7年)
1月 12日(日) 午後1時 修正会 奉讃会 法話:堀田 護 師
20日(月) 午前10時/午後7時半 親鸞教室  
2月 11日(火) 午後2時 こどもほうおんこう「人形劇」 とんがらし
12日(水) 午後1時 報恩講 法話:安藤 伝融 師
13日(木) 午後1時 報恩講 法話:堀田 護 師
3月 12日(水) 午後1時 聖徳 太子会 奉讃会 法話:伊奈 祐諦 師
4月 12日(土) 午後1時 永代経・蓮如忌 法話:小谷香示 師
5月 12日(月) 午後1時 定例・奉賛会・宗祖誕生会 法話:戸田 恵信 師
6月 12日(木) 午後1時 前々住職御命日 法話:戸田 栄信 師
7月 11日(土) 午後1時 お盆会 法話:戸松 憲仁 住職
12日(日) 午後1時 お盆会 法話:藤井 義尚 師
8月 12日(火) 午後1時 盂蘭盆会 法話:青木 馨 師
13日(水) 午後7時 納骨堂 お盆会 寺内勤め
14日(木) 午後7時 納骨堂 お盆会 寺内勤め
9月 12日(金) 午後1時 彼岸会 法話:梛野 明仁 師