最近、終活という言葉が頻繁に使われるようになりました。終末活動の略なんだそうです。

 「自分の葬式は、自分で決める!」などといって、自分が死んだら、ああしてくれ、こうしてくれと子や孫に言い残したり、遺言書を残したり…

 でも実は、自分が死んだ時の葬式は、自分の葬式なんだと考えることが、そもそも、まちがいなのです。

 私たちは、生きている間は、私の財産、

私の家、私の車、私の考え、私の妻…

私の、私の…と様々なものを握って暮らしています。そして最後に死んでいく時にまで、私の葬式!と死後も自分の思いを通そうとしますが…

 

先日あるおじいさんに、こんなことを尋ねられました。

「…わが家は代々真宗門徒なんですが…私の妻がキリスト教徒で…宗教はちがうが愛し合って結婚したんです…

若いうちは何も問題はなかったけれどこうやって、お互いにいつ逝ってもおかしくないような高齢になった今は、私は葬式のことが心配でしょうがない…

仮に私が先に逝ったとしたら、当然

我が家の真宗で葬式を出すことになるわけだが…あの妻が手を合わせて念仏してくれるだろうか?

逆に妻の方が先に逝ったとしても、私はキリスト教の葬式なんてものは一度も見たことすらないので…」………と。

 そこで私は言いました。

「そりゃ、反対です。死んだ人のお葬式ではなく、残されたものの葬式なんです。…だからご主人さんが先にお亡くなりになったら、残るのはキリスト教徒の奥さんですから、キリスト教のお葬式をすればいいんです。また、奥さんが先にお亡くなりになったならば、遺されたのは、真宗門徒のご主人さんなんですから真宗でお葬式をすればいいんです。」

 お葬式は、亡くなった人のための葬式ではありません。そうではなくて、遺(のこ)された人たちのお葬式なんです。

遺された人が、身近な者の死という事実を目の前にして、その悲しみをご縁として、諸行無常を説く仏教の教えに出会っていく…キリスト教徒であれば、キリスト教の教えを聞いていく…そういう大切なことなのです。

 最後に自分の思いをぶつけていくような行事ではありません。

 今年の年賀状に書かせていただきました良寛の弟子であり、歌人の貞心尼の句

 

あとは人

先は仏に

まかせおく
おのが心のうちは極楽 

貞心尼

 

本当にその通り、自分の死んだあとは人に残された子や孫にまかせるより仕方がありません。自分で自分の棺桶を担ぐわけにはいきません。

 それをこの頃は、まかせられない人が

たくさんいますから…自分の死んだあとのことも自分で決めるために「遺言書」を残すことが増えてきた…

 

 …私、今までに遺言書を残された方の家を何軒か見て来ました…きっと、あとに残る家族が揉めないようにとの配慮から書かれるんでしょうけれど…まあ、そんな思いとは正反対に、例外なく揉めましたね。それも普通の揉め方じゃない。大きなシコリというか、傷跡を残していくケースが多いのです。

 人間は、神様や仏様ではないんです。あとに遺された家族がうまくやっていけるようにと計らいますが…そんな計らいは、間にあわないのが人間の世界…よかれと思ってしたことが、裏目に出ることもあるのです。

 だいたい人間は感情の動物ですから…

遺言書にも必ず感情が入るのです。それも遺言書などを書こうと思い立つようなときはたいてい感情が高ぶっていますから、大袈裟になる。感情が入るということは、依怙贔屓(えこひいき)が入るということです。

 たとえば「私には3人の子があるけれど、一番末娘が、最後までよく私の面倒を見てくれたので、私の財産の半分は末娘にやって、残り半分をみんなで分けてくれ…」とか…書いていくから揉める…

 そりゃ、末娘は喜ぶかもしれないけれど…そりゃ長男や次男は、怒りますわ。「…わかった。遺言状にそう書いてあるなら仕方ない。財産の半分は持って行け…そのかわり、もうお前とは絶縁だ!

二度とこの家の敷居をまたぐな!…それと、こんな遺言を遺していった親の墓など俺は、金輪際行かんからな!財産の半分ももらったんだから、これからは、お前が面倒みろよ!」…なんてことになる。だから、あまりそういうものを遺さん方がいいと思うんです。

そもそも遺言状なんてあってもなくても揉めるところは揉めるんです。…だいたい財産のあるところが揉めるんです…ないところは、揉めたくっても揉めようがない…

だから揉めるものは、揉ましておけばいいんです。遺った人たちで揉めて揉めて…話し合って、話し合って、納得するまで、話し合っていろいろ決めればいいんです。あとのことは、あとの人にまかせればいいんです。

そして自分が死んだ先は仏にまかせおく 

死んだ先のことも、私たち人間には、

どうすることもできません。

阿弥陀仏は、「私にまかせよ」と呼びかけて下さいます。それが南無阿弥陀仏というお念仏です。私たちは、まかせなければならないものを、背負っているのです。

良くても悪くても、ゆだねていくより

他ないのです。

そうするより他に手だてがないのです。

「…ああ、そうだったなぁ、いくらがんばってみても、どうしようもないことがあるなぁ…本当にそうでした…おまかせします」と南無と頭の下がった時、阿弥陀仏の世界が開かれる…おのが心のうちは極楽 …と はじめて落ち着けるのです。

つまり極楽・浄土というのは、おまかせしていく覚悟のついたことなのです。

 

 最後に、それでもあとのことが心配だから、遺言状を遺したいという方に、真宗門徒の理想的な遺言状の書き方をお伝えしたいと思います。短い遺言状です…

 

  遺言状

あとはまかせた

南無阿弥陀仏

以上

 

これでいいのだと思います。


今後の行事

日/曜日 時間 内容 備考
2024年(令和6年)
毎月 第1(日) 午前6時半 おはよう講座 毎月 第1 日曜日
1月 第2 日曜日
中止第3(木) 午前10時~午後3時半 福遊会 毎月 第3 木曜日
10月 12日(土) 午前10時 秋の永代経 法話:戸松 憲仁 住職
午後1時 前住職ご命日 落語:三遊亭兼好
俗曲:桧山うめ吉
24日(木) 午前10時/午後7時半 親鸞教室  
11月 12日(火) 午後1時 開基・中興法要・相続講 法話:未定
12月 12日(木) 午後1時 成道会(お釈迦様の命日) 法話:織田 慶雄 師
10日(火) 午前10時/午後7時半 親鸞教室  
2025年(令和7年)
1月 12日(日) 午後1時 修正会 奉讃会 法話:堀田 護 師
20日(月) 午前10時/午後7時半 親鸞教室  
2月 11日(火) 午後2時 こどもほうおんこう「人形劇」 とんがらし
12日(水) 午後1時 報恩講 法話:安藤 伝融 師
13日(木) 午後1時 報恩講 法話:堀田 護 師
3月 12日(水) 午後1時 聖徳 太子会 奉讃会 法話:伊奈 祐諦 師
4月 12日(土) 午後1時 永代経・蓮如忌 法話:小谷香示 師
5月 12日(月) 午後1時 定例・奉賛会・宗祖誕生会 法話:戸田 恵信 師
6月 12日(木) 午後1時 前々住職御命日 法話:戸田 栄信 師
7月 11日(土) 午後1時 お盆会 法話:戸松 憲仁 住職
12日(日) 午後1時 お盆会 法話:藤井 義尚 師
8月 12日(火) 午後1時 盂蘭盆会 法話:青木 馨 師
13日(水) 午後7時 納骨堂 お盆会 寺内勤め
14日(木) 午後7時 納骨堂 お盆会 寺内勤め
9月 12日(金) 午後1時 彼岸会 法話:梛野 明仁 師