人間というものは、生まれた時から

しだいに智慧がついて賢くなります。

けれどもその賢くなった分だけ、

逆にお粗末になってしまうようです。

つまり、賢くなればなるほど、

賢さに頼ってしまう。

それを信頼してしまう。

つまり自力になってしまうのです。

 

『安心決定妙』のお言葉のように

「こざかしく、自力になりて、

わがいのちと思いたらん」です。

 

いいかえれば、賢くなればなるほど、

おかげさまがわからなくなり、いのちの背景が見えなくなるのです。

 

米沢英雄という先生はいつも、仏性(仏さまになるの種)というものは、生まれてくる前から私にうめこまれてあったものだと、おっしゃいます。

 

だから、小さい頃の、幼稚園へ行く前後の子どもたちは、見えないものと話ができます。うちに飼っている猫や小鳥や、また朝顔の花とお話ができます。蟻とも話ができるんですね。

どんなものも自分と同じように、

命あるもの、生きてるものなんです。

 

それが、だんだん智慧がついてくると、だれとも話ができぬようになってしまいます。智慧の貧しさなんです。

だから大人の顔は、どこか淋しいのです。子どもの表情のように、生き生きしていません。

 

 私はときどき老人ホームへ参ります。

そこへ参りますたびに

「おばあちゃん、お幸せですか」

とお尋ねしますが…

だれも、「幸せです」と言われません。

幸せでないに決まってるじゃないか…

というようなお顔をしておられます。

 

幸せとか不幸せということは、環境が大きな影響をしているかもしれませんが、より本質的には、今、頂いているこの身に、手が合わせる

かどうかでしょう。

そこに、どうしても、仏法を聞かせてもらって、いのちの背景とか、いのちを成りたたせている世界が感受できないと、手は合わさらんのです。

頭が下がらんのです。

 先頃、米寿を祝ったご老人とお会いしました。

「よかったですね」といいましたら、

「わしや、なにもせんのやけど、八十八さまがむこうからやって来て下さいました」とおっしゃいました。

こんなお心は幸せですね。

八十八歳に手が合わさっている。

 私の名前のつく前から、私は、私を頂けていたのです。

この私は、頂きものでした、というところに手が合わさっていく、そういううなずきがほしいですね。

「私を生きる」野田風雪 法蔵館より

 

念仏の教えというのは、不思議ともなんとも思っていなかったことが

不思議だなぁと拝んでいけること。

当たり前だと思っていたことが、

本当は、とってもありがたいことだった と拝んでいけること。

自分の力でやったと思っていたことが、

大きなはたらきの中の出来事だったと気づくことなのですね。

 「いのち」も、「私のいのち」と思っていたけれど、私のものではなかった。

私が私のことを私と呼ぶ前から、与えられていたのですね。


今後の行事

日/曜日 時間 内容 備考
2024年(令和6年)
毎月 第1(日) 午前6時半 おはよう講座 毎月 第1 日曜日
1月 第2 日曜日
中止第3(木) 午前10時~午後3時半 福遊会 毎月 第3 木曜日
4月 12日(金) 午後1時 永代経・蓮如忌 法話:小谷香示 師
30日(火) 午前10時/午後7時半 親鸞教室  
5月 12日(日) 午後1時 定例・奉賛会・宗祖誕生会 法話:戸田 恵信 師
27日(月) 午前10時/午後7時半 親鸞教室  
6月 12日(水) 午後1時 前々住職御命日 法話:戸田 栄信 師
21日(金) 午前10時/午後7時半 親鸞教室  
7月 11日(木) 午後1時 お盆会 法話:戸松 憲仁 住職
12日(金) 午後1時 お盆会 法話:藤井 義尚 師
29日(月) 午前10時/午後7時半 親鸞教室  
8月 12日(月) 午後1時 盂蘭盆会 法話:青木 馨 師
13日(火) 午後7時 納骨堂 お盆会 寺内勤め
14日(水) 午後7時 納骨堂 お盆会 寺内勤め
9月 12日(木) 午後1時 彼岸会 法話:梛野 明仁 師
10月 12日(土) 午前10時 秋の永代経 法話:戸松 憲仁 住職
午後1時 前住職ご命日 落語:三遊亭兼好
俗曲:桧山うめ吉
11月 12日(火) 午後1時 開基・中興法要・相続講 法話:未定
12月 12日(木) 午後1時 成道会(お釈迦様の命日) 法話:織田 慶雄 師
2025年(令和7年)
1月 12日(日) 午後1時 修正会 奉讃会 法話:堀田 護 師
2月 11日(火) 午後2時 こどもほうおんこう「人形劇」 とんがらし
12日(水) 午後1時 報恩講 法話:安藤 伝融 師
13日(木) 午後1時 報恩講 法話:堀田 護 師
3月 12日(水) 午後1時 聖徳 太子会 奉讃会 法話:伊奈 祐諦 師