【小耳にはさんだいい話】

西島玲那さんは、高校一年の頃から視野が狭くなり、夜になると町の看板の文字が見えづらくなり、十九歳の時に完全に失明してしまいました。

 でも、この人は、大事なことを、メモをするんですって!

…メモ?…メモしても見えなきゃ意味ないじゃん!

 

でも、目が見えたという時間が高一まであったから、視力があったという体験が脳の中にあるんですね。

だから「これは忘れちゃいけない」ということを見えないんだけど、メモ帳に書く。

そうするとメモの役割を頭がやってくれるというんです。

喫茶ポエム

忘れちゃダメ

明日9時半

 

 普段、白い杖をついて歩いていると、駅の階段とか、プラットホームで健常者の人が「手を貸しましょうか?」と言ってくれる。

 そうすると、本当は自分でちゃんとできるんだけど「ありがとうございます」って障害者らしく振舞うんですって。

 

それは、関係にカドがたたないようにしているわけです。本当に目が見えないんだけど、そういう障害者を演じなければ、うまく世の中と折り合っていけないという状況もある。

だから、彼女が付き合いやすい人というのは、一緒に遊んだりしているうちに西島さんの目が見えないということを忘れてくれる人…

「ちょっと、面白い。これ読んで!」なんて本や雑誌を差し出したり、「見てみて、きれいな花!」とか…

そういう人とは、うまくいくという。

 

 私たちは、障害者の人を見ると、つい、欠損と見てしまうけれど、それは欠損ではなくて「目の見えない人の ものの見方」というものがあるわけです。

 

この本の著者の伊藤亜紗さんという方は、障害の方から健常(健康)というものを見つめていらっしゃって、

伊藤さん言わく、

「私たちの世界は、2つのルールで出来ていて、1つは、パブリック・ルールで、倫理とか道徳とか、誰もが守らなければならないルール。公のルール。

もう1つは、ローカル・ルールで、

そこの場所だけ、その人だけ、というように限定的に適用されるルール。」

 

…そうですよねぇ…ありますよねぇ

その人だけにしか通用しないルール。

たとえば、胃腸の弱い人は毎朝3回くらいトイレに行かねばなりません。

他人にどういわれようが、それがマイ・ルールです。

嫌だろうが、絶対に従わなければなりません。

 

 西島玲那さん言わく、

「目が見えないということは、 見えるということがマイナスされた 人ではないんです。 目が見えないというルールの中で生きている人なんです。」

 

 私たちは、どうも体の不自由な人を見ると、ついつい「引き算」をしてしまいます。

「視力がない人だ」

「聴力のない人だ」

「片足がない人だ」

「片腕のない人だ」

「思考する力のない人なんだ」

とか、そういう風に「引き算」で障害というものを考えてしまいます。

だけど、そうではないんだそうです。

 

「片足のダンサー」

 

大前光市さんは、プロのダンサーで、もと劇団四季におられた方ですが…

23歳の時に交通事故で左足のひざから下を失ってしまいます。

 そこから15年、左足に義足をつけて踊ることを練習して、今はプロのダンサーとして活躍していらっしゃいます。

 

 大前さんが一番苦労したことは、もうすでに無くなった左足のひざから下が痛むんですって…

足はないけど、イメージとしては、ちゃんとくっついているというんです。

それが痛む!

イメージでは、幻の足の指の一本一本を動かすことが出来る。動かしているんだけれど、動くものがない。

そうなると脳には指がある頃の記憶が残っていて、そうすると脳は、それを痛みとして感じてしまうんだそうです。

 

 それでも、大前さんは、幻の指の痛みに耐えながら、動かし続けた。

すると不思議なことに、切断面の筋肉が異様に発達して、どんどん器用になっていき、そして、そこへ義足をつけた。

 大前さん言わく

「ちょうど右手で持っていた箸を左手に持ち替えたような感覚…」 

確かに使いにくさはあるんだけれど、やっているうちに慣れたという…

右手でお箸を握っていた時の記憶がなくなった瞬間に、まったく遜色なく左手でお箸を使えるようになるという。

 私たちは、こういうことを聞くと、義足という道具を使いこなせるようになったと思うけれど、そうじゃないんですって!

大前さん言わく

「自分の中に2人の自分が生きている。

義足のない時の自分と、義足のある時の自分と2つの自分を1つの体で生きること

そういうことが片足をなくすという障害を生きるということなんです。

でも、左足を失わなかったら、もう一人の自分に出会う感覚を

味わうことはできなかっただろう。」

私たちは「あの人は片足を失(なく)しちゃったんだ!」「引き算」しますが、大前さんは、片足を無くして、もう一人の自分を「足し算」されたんですねぇ。

『記憶する体』(春秋社)伊藤亜紗 より


今後の行事

日/曜日 時間 内容 備考
2024年(令和6年)
毎月 第1(日) 午前6時半 おはよう講座 毎月 第1 日曜日
1月 第2 日曜日
中止第3(木) 午前10時~午後3時半 福遊会 毎月 第3 木曜日
4月 12日(金) 午後1時 永代経・蓮如忌 法話:小谷香示 師
30日(火) 午前10時/午後7時半 親鸞教室  
5月 12日(日) 午後1時 定例・奉賛会・宗祖誕生会 法話:戸田 恵信 師
27日(月) 午前10時/午後7時半 親鸞教室  
6月 12日(水) 午後1時 前々住職御命日 法話:戸田 栄信 師
21日(金) 午前10時/午後7時半 親鸞教室  
7月 11日(木) 午後1時 お盆会 法話:戸松 憲仁 住職
12日(金) 午後1時 お盆会 法話:藤井 義尚 師
29日(月) 午前10時/午後7時半 親鸞教室  
8月 12日(月) 午後1時 盂蘭盆会 法話:青木 馨 師
13日(火) 午後7時 納骨堂 お盆会 寺内勤め
14日(水) 午後7時 納骨堂 お盆会 寺内勤め
9月 12日(木) 午後1時 彼岸会 法話:梛野 明仁 師
10月 12日(土) 午前10時 秋の永代経 法話:戸松 憲仁 住職
午後1時 前住職ご命日 落語:三遊亭兼好
俗曲:桧山うめ吉
11月 12日(火) 午後1時 開基・中興法要・相続講 法話:未定
12月 12日(木) 午後1時 成道会(お釈迦様の命日) 法話:織田 慶雄 師
2025年(令和7年)
1月 12日(日) 午後1時 修正会 奉讃会 法話:堀田 護 師
2月 11日(火) 午後2時 こどもほうおんこう「人形劇」 とんがらし
12日(水) 午後1時 報恩講 法話:安藤 伝融 師
13日(木) 午後1時 報恩講 法話:堀田 護 師
3月 12日(水) 午後1時 聖徳 太子会 奉讃会 法話:伊奈 祐諦 師