人がお亡くなりになったときに、「息を引き取る」という表現をしますが…人間の最後の最後の一息というのは、吸うのでしょうか?吐くのでしょうか?

 

これについて、あるお医者様の話…

「人間最後の一息は、吐いて死ぬんじゃありません、最後は吸って死ぬんです…

吸った息が出てこない…

吐かないんだそうです…

だから…儚(はかな)いいのち?というんです。」

つまり、最後の最後まで身体は、生かそう生かそうとはたらいているんです…とのこと…

本当かウソかは、定かでありませんが…

 

また、この「息を引き取る」という表現には、ただ「呼吸が止まる」という意味だけではなく、亡くなられる方の「息」を残された人達が引き取る…引き継ぐ…引き継いでいく…

つまり「いのち」を伝えていくとか「いのち」をつないでいく…という意味があるのだそうです。

映画「おくりびと」の中で、風呂屋のおかみさんが亡くなって火葬に付されるとき、火葬場の係りのおじさんが「行ってらっしゃい、また会おうな」と言うシーンがありました。印象に残る言葉でした。

「死んだらしまい」とよく言うのですが、はたして私たちは死んだらしまいなのでしょうか。火葬場のおじさんには、死んで行く世界、再び会う世界が、はっきりしていたように思われます。

 

人は去っても

その人のほほえみは

去らない

人は去っても

その人のことばは

去らない

人は去っても

その人のぬくもりは

去らない

人は去っても

拝む掌(て)の中に

帰ってくる

(『ひととき-私をささえるる言葉』) 中西智海

 

かけがいのない人が亡くなった時、私は、失ったとは思いません。

もう目に見えないから触れることができないから

もう声を聞けないからといって

その人は、無くなってしまったわけじゃないのです…

身体は、なくなってもいなくならないその人がいるのです。

その人の「いのち」を私が引き継ぎ、私の心の中で生き続けるのです。

『阿弥陀経』というお経は、極楽浄土の様子が細かに説かれていますが…

その中に「倶会一処(くえいっしょ)」という言葉が出て来ます。「倶(とも)に一つ所で出遇(であ)う」ということです。一つ所というのはお浄土のことです。

そこでは、この世の利害・損得の考えや、好きだ嫌いだとか、愛したり憎んだり…といった感情からも解放され、懐かしい人や愛する人、はたまた大嫌いだった人とも、一つになっていく世界だと説かれます。  

お念仏申し、教えを聞いていくところにその素晴らしい世界が開けてきますから、ともに、そのお浄土に、往生しましょうと呼びかけておられるのです。


今後の行事

日/曜日 時間 内容 備考
2024年(令和6年)
毎月 第1(日) 午前6時半 おはよう講座 毎月 第1 日曜日
1月 第2 日曜日
中止第3(木) 午前10時~午後3時半 福遊会 毎月 第3 木曜日
1月 12日(金) 午後1時 修正会 奉讃会 法話:堀田 護 師
25日(木) 午前10時/午後7時半 親鸞教室  
2月 11日(日) 午後2時 こどもほうおんこう「人形劇」 とんがらし
12日(月) 午後1時 報恩講 法話:安藤 伝融 師
13日(火) 午後1時 報恩講 法話:堀田 護 師
22日(木) 午前10時/午後7時半 親鸞教室  
3月 12日(火) 午後1時 聖徳 太子会 奉讃会 法話:伊奈 祐諦 師
27日(木) 午前10時/午後7時半 親鸞教室  
4月 12日(金) 午後1時 永代経・蓮如忌 法話:小谷香示 師
5月 12日(日) 午後1時 定例・奉賛会・宗祖誕生会 法話:戸田 恵信 師
6月 12日(水) 午後1時 前々住職御命日 法話:戸田 栄信 師
7月 11日(木) 午後1時 お盆会 法話:戸松 憲仁 住職
12日(金) 午後1時 お盆会 法話:藤井 義尚 師
8月 12日(月) 午後1時 盂蘭盆会 法話:青木 馨 師
13日(火) 午後7時 納骨堂 お盆会 寺内勤め
14日(水) 午後7時 納骨堂 お盆会 寺内勤め
9月 12日(木) 午後1時 彼岸会 法話:梛野 明仁 師
10月 12日(土) 午前10時 秋の永代経 法話:戸松 憲仁 住職
午後1時 前住職ご命日 落語:三遊亭兼好
俗曲:桧山うめ吉
11月 12日(火) 午後1時 開基・中興法要・相続講 法話:未定
12月 12日(木) 午後1時 成道会(お釈迦様の命日) 法話:織田 慶雄 師
2025年(令和7年)