結核の嫁

これは、私が祖母(おばあさん)から聞いた昭和の初めごろの話です。その頃、結核が流行ったんだそうです。

当時はまだ不治の病で、他人にも感染する大変恐ろしい病でした。

 岡崎の町はずれの農家に二十歳で嫁いでいった娘さん(順子さん・仮)が、初めての子どもを身ごもった時に、

結核にかかってしまいました。

夫や舅・姑に、病気がうつるといかんということで、離れの部屋に隔離され、三度三度の食事も姑が運んでくるというような暮らしだったそうです。

 当時は、マスクなんて洒落たものはありませんから、世話する姑は、着物の袖で鼻と口を隠して、まるで汚いものでも見るかのような目をして、食事を運んでくるんだそうです。

 お医者さまに、結核は、栄養と休養が大事だといわれたそうですが、まだ日本が貧しかった時代です。

姑としては、かわいい息子の嫁ですが、一方では、農家のはたらき手としても期待してもらった嫁が、こんな業病にかかって、ろくに働きもせずに、世話をかけるだけ。こんな穀潰しの嫁の食事に、お金はかけられないと、毎日お粥と薄い味噌汁ばかりだったそうです。

お腹に子どものいる順子さんは、病気のつらさもさることながら、空腹のつらさのほうが大きく、それから病気がわかってから、一度も離れに顔を見せない夫の薄情さがとても辛かったそうです。

 

そんなこともあって、病気は日増しに悪化して、熱が続き咳は止まらず、とうとう唯一の希望であった子供も流産してしまいます。

そんなある日お医者さまから「もうたすかる見込みはありません」と宣告を受けます

順子さんは、蚊の鳴くような声で

「実家へ連れて行って下さい」というと、姑は、待ってましたとばかりに順子さんの実家へ出むいて行って、

「うちの嫁(ねえ)さんが、最後は、どうしても実家で死にたいと言うとりますが どういたしましょう。」

と相談を持ち掛けると、実家の母は、

「そうですか。それでは連れてきて下さい。

ずいぶんご迷惑をおかけしてすみませんでした。私も看病に行かんならんと思いながらも、田畑の仕事に追われて、ご無沙汰しとりました。

こちらへ連れてきてもらえば、看病もできます。明日迎えをやりますから、どうかよろしく頼みます。」

ということで、

翌日、順子さんは、父親とお兄さんに、戸板(担架・タンカ代わり)に乗せられて実家に帰って来ました。

家に着くと順子さんは、「母さん、よろしくたのみます」とニッコリ笑ったそうです。

 見れば、やせ衰えて、青白い顔。

あまりに変わり果てた娘の姿を見て、お母さんは、こらえきれずに、便所に駆け込んで、声を忍んで泣いたそうです。

生涯を約束した夫に捨てられ、義理にも親と呼んだ姑に捨てられ、最後は、頼みの綱の医者にも捨てられ、泣かずにおれないはずなのに、ニッコリ笑う娘の気づかい。

嫁いでゆく時は、近所の人に、三国一の花嫁じゃとほめてもらって出ていったのに、こんな姿で帰ってくるとは、泣かずにはおれないのが親心です。

 お母さんは、娘を仏間の奥の部屋に寝かせると、娘の体調のいい時を見計らっては、いつもお寺で聞かせてもらっている仏様のお話をしたんだそうです。

「世間のみんながお前のことを見捨ててもな、絶対に見捨てんぞと誓っておってくださるのが阿弥陀さまだぞい。

人間には人間を救えんのだげなぞ。

人間を救えるのは仏さまだけだでな。お前も阿弥陀さまの国に呼んでもらえるだでなぁ、念仏称えらっせ。

意味が分からんでもいいんだでな、自分の力でたすかるじゃないだでな。

阿弥陀さまのお力でお浄土へやってもらうんだでな。

苦しかったらナンマンダブ

辛かったらナンマンダブ。

念仏しかないだでな。

念仏せらっせ。念仏せらっせ。」

繰り返し巻き返し聞かせたそうです。

死を目の前にしている順子さんには、そんな母親のひと言ひと言が、とても胸にしみたようで、いつしか知らぬうちに「なんまんだぶつ、なんまんだぶつ・・・・とお念仏が順子さんの口からこぼれるようになったのです。

 

 そして、いよいよ最後の時が近づくと「母さん。私のお布団を仏間に運んでちょうだい。最後に仏さまを拝みたいの。」という。

母親は「わかったわ」と娘を布団のまま、仏壇の前まで引きずっていくと・・・

「ありがとう。じゃぁ、お灯明をあげて、それからお線香も焚いてちょうだい。」

言われるままにしてやると

「母さん わがまま言ってごめんね。最後に仏さまをお参りしてから逝きたかったの。

母さん 覚えてる?

私がお嫁に行く時に、お仏壇に手を合わせて

「行ってきます。」

と言ってこの家を出て行ったでしょ。

だから今度は「ただいま」と言って

還(かえ)っていくわ。阿弥陀さまの国へ。

そうでしょ。母さん」

とニッコリ笑いかけるんだそうです。

母親は、こらえれずに、ボロボロと涙をこぼしながら

「ほだほだ(そうだとも、そうだとも)ほいでもなぁ、心配するな。母さんも父さんも、じきに行くでなぁ

また、お浄土で会おうなぁ。」と、

母娘(おやこ)して、お念仏を称えながら、順子さんは、その短い生涯を終えていったんだそうです。

その後、私の祖母(おばあさん)がそこの家に月参りに行くようになり、祖母からこの話を聞かされたことを、今回コロナが流行って、なぜかふっと思い出しました。


今後の行事

日/曜日 時間 内容 備考
2024年(令和6年)
毎月 第1(日) 午前6時半 おはよう講座 毎月 第1 日曜日
1月 第2 日曜日
中止第3(木) 午前10時~午後3時半 福遊会 毎月 第3 木曜日
4月 12日(金) 午後1時 永代経・蓮如忌 法話:小谷香示 師
30日(火) 午前10時/午後7時半 親鸞教室  
5月 12日(日) 午後1時 定例・奉賛会・宗祖誕生会 法話:戸田 恵信 師
27日(月) 午前10時/午後7時半 親鸞教室  
6月 12日(水) 午後1時 前々住職御命日 法話:戸田 栄信 師
21日(金) 午前10時/午後7時半 親鸞教室  
7月 11日(木) 午後1時 お盆会 法話:戸松 憲仁 住職
12日(金) 午後1時 お盆会 法話:藤井 義尚 師
29日(月) 午前10時/午後7時半 親鸞教室  
8月 12日(月) 午後1時 盂蘭盆会 法話:青木 馨 師
13日(火) 午後7時 納骨堂 お盆会 寺内勤め
14日(水) 午後7時 納骨堂 お盆会 寺内勤め
9月 12日(木) 午後1時 彼岸会 法話:梛野 明仁 師
10月 12日(土) 午前10時 秋の永代経 法話:戸松 憲仁 住職
午後1時 前住職ご命日 落語:三遊亭兼好
俗曲:桧山うめ吉
11月 12日(火) 午後1時 開基・中興法要・相続講 法話:未定
12月 12日(木) 午後1時 成道会(お釈迦様の命日) 法話:織田 慶雄 師
2025年(令和7年)
1月 12日(日) 午後1時 修正会 奉讃会 法話:堀田 護 師
2月 11日(火) 午後2時 こどもほうおんこう「人形劇」 とんがらし
12日(水) 午後1時 報恩講 法話:安藤 伝融 師
13日(木) 午後1時 報恩講 法話:堀田 護 師
3月 12日(水) 午後1時 聖徳 太子会 奉讃会 法話:伊奈 祐諦 師